ドイツ音楽の構築性を彷彿させる「交響的序曲」は精緻な計算に基づいたそのスケールの大きさに圧倒され、「双龍交遊之舞」は、直接のモチーフである横浜中華街の魅力的ないかがわしさ、すなわち、元々そこにあったものではなく、後からそこに造った、よその土地にある「中国」の持つ、祖国から離れた者達のノスタルジア、根なし草の不安、その反動としての熱い想いがよく描かれていて、誇張された中国的メロディーが、祖国を離れ、勤勉に、実直に、それでいて楽天的な横浜の中国人の気質と、そこに起源を持たないがゆえに、ある種の軽やかさを備えた須賀田のつくるメロディーの偽者っぽさが秀逸であった。必ずしも、起源に根差した重々しいものだけが、芸術ではないのだ。
「沙漠の情景」では第一楽章の「聖地の巡礼」が強く印象に残った。指揮者はこの楽章を、タリバンによって破壊された「バーミヤンの石仏」に対する鎮魂歌だと解釈していたが、この曲の持つ消えいりそうで決して消えることのない、葉をゆらす静かな風のような音は、何百年も存在してきたものを、エゴによって一瞬のうちに破壊して恥ぢ入ることのない人間のどうしようもなさを、嘆くでも悲しむのでもなく、ただただ、破戒され砂となり、風に運ばれ、また、うつろってゆく、無常、諦観の音であった。
そして須賀田の青年期の習作である「交響詩 横浜」(この作品は習作であって、本人による作品番号はふられていない。)は、未完成な部分も多いが、若さゆえの初期衝動の勢いと、様々なエッセンスを貪欲に吸収しようとする姿勢がよく表れていて、微笑ましい作品であった。しかし、習作期にこれだけスケールの大きなオーケストレーションを創造できるとは、やはり才能というものは萌芽する過程においてさえも厳然と才能としてそこにあるものだ、ということをあらためて認識させられた。
指揮者の小松氏と、それにひっぱられる神奈川フィルの演奏は、ある種の熱気というべきものを放っていて、それが観客にも伝わり、会場はそれらが渾然一体となって産みだすハーモニーにつつまれた。そのまっただなかに昇化する、須賀田礒太郎という、かつて確実に存在したことが証明された、音楽家の魂。
そうだ。誰が何と言おうとも、魂は決して死なないんだ。
平成十四年二月九日。
その日、僕らは目撃者となり、そのさまを伝えてゆく語り部となった。 |