街角に「旅の夜風」や「純情二重奏」が流れていた1930年代。
当時の日本は、現代では考えられないほどオーケストラ曲の作曲が盛んでした。ところが残念な事に、それらの作品のほとんどが完全に忘却の彼方に追いやられてしまっています。時代も作曲家たちにとって逆境でした。日本全体が迫りくる戦争のうねりに巻き込まれる中、国威発揚的な作品以外はほとんど発表の場もなく、作品はどんどん政治的要素が色濃くなっていったのです。そのことが結果的に、戦後の再演の道を閉ざすことになりました。
数年前、指揮者・小松一彦氏のご努力により、貴志康一のオーケストラ作品が立続けにビクターからCD化されたことがありました。これまで全く耳にしたことのない美しい響き・斬新な内容に正直、驚かされました。
これらの作品を聴くためにはまず、演奏のための正確な楽譜が欠かせません。しかし、現在パート譜すら存在しない作品が多く、またパート譜が残されているものでも、手書きの見にくいものがほとんどというのが、悲しい現実です。
そこで私は演奏譜の現存しない作品について、オーケストラ用のパート譜を作ろう、と決心しました。じつは私の本業はオーケストラ・プレイヤーなのですが、趣味で手書きの時代からパート譜の作成を手がけています。私が自分で楽譜を作るようになったのは、演奏現場では余りにも見にくい、酷い楽譜が多い事に対する不満があったからです。自分の腕以外の原因 (見にくい譜面)で、うまく演奏出来ないことほど、プレイヤーにとって悔しい事はありません。
パート譜を作るためにはまず、作曲家のご遺族や現在の権利者の方々の許諾をいただかなければなりません。私は、何人かのご遺族に直接手紙を書いて、パート譜作成の許諾をいただきました。そして、これまでに10曲近い管弦楽曲の楽譜を完成し、私の在籍するオーケストラに寄贈しました。しかし・・・誰も知らない・聴いたこともないような作品たちが実際に演奏される可能性はゼロに近く、そこが私の悩みでもありました。
そこで私はホームページに、私のささやかな活動を掲載させていただくことにしました。すると、徐々に演奏者の方やオーケストラなどから問い合わせをいただくようになり、嬉しい事に、実際に演奏するための楽譜作成を依頼されるようにもなりました。
中でも2002年2月に行なわれた神奈川フィルハーモニー管弦楽団・特別演奏会「須賀田礒太郎の世界」のための楽譜の一部を作らせていただいたことは、私の一生の想い出となる、素晴らしい体験でした。50年近くもの長い間、栃木県の田舎町の蔵の中に埋もれていた須賀田礒太郎の管弦楽作品の数々は、間違いなく現代の聴衆にみずみずしい感動をもたらしたのです。
私はこのコンサートのリハーサルを通じて、須賀田氏のご遺族の皆さんや、指揮を担当された貴志康一のCDでおなじみの小松一彦氏から、いろいろ貴重なお話を伺うことができました。
「戦前の作曲家の、埋もれてしまっている管弦楽作品の演奏譜作り」という甚大なテーマに、少しためらいを抱きかけていた私は、この体験によって、これからもこの作業をずっと続けて行こう、という思いを新たにしたのです。
須賀田氏の交響詩「横浜」の譜面を手にしながら、指揮者の小松氏がポツンと言われたひとこと
「横浜の人々は、素晴らしい財産を手に入れましたね・・・」
また、須賀田氏のご遺族のお言葉
「演奏会場に須賀田の気というか、何か目に見えないものを感ずる事ができました・・・」が、私は忘れられません。