日本武徳院 映像 稽古週報 黒澤雄太 異論外聞 映画

▼金田正人
師範による紹介
横浜の紅葉坂を上がる。
前に歩いたときにこんな飯屋はあっただろうか。歩道をさらに狭める電柱は相変わらずだ。黒いベントレーがにやけた男を乗せて下っていく。枝を下ろされたニレの木は正しく年輪を刻んでいない。それでも新芽が膨らんでいる。乾いた排気ガスの匂いがする。
黒澤さんから誘いを受け、神奈川フィルが演奏する須賀田磯太郎を聞きに行く。

二〇〇二年二月九日。須賀田磯太郎、ボクはこの人を知らない。

ともかく、映画館のそれよりも窮屈な椅子に沈み込む。居心地は悪くない。パンフレットに目を通す。山田耕筰やマーラーの弟子プリングス・ハイムに師事したこと、NHK管弦楽曲懸賞や新交響楽団主催の邦人作品コンクールに入選したこと、病弱であったこと…云々云々。
だから、何だ。これらの記述は僕に須賀田磯太郎のことを、教えてはくれない。
「作曲者の念頭には、ストラビンスキーの…云々」。ストラビンスキーもマーラーも好きな作曲家だ。しかし…だから何だ。今、鳴り始めようとしている音は、黒沢雄太さんの大叔父の音楽で、アメリカ生まれのロシア人もオーストリアも関係ない。そもそも「大叔父」ってなんだ?? 欲しいのは知識ではない。
演奏が始まる。大げさに思えるタクトの動き、目立ちすぎる第一バイオリン。なるほどカッコイイ。…だから、何だ。僕が知りたいのは、須賀田磯太郎だ。

須賀田磯太郎、その人の事を考えてみる。何も書かれていない五線譜を想像する。迷いはあっただろうか。鼓動を高めた欧州の音や、祖国の古い調べを思い返しながら、それでも今の日本人である自分、横浜人である自分を問い直したりしたのだろうか。
町の息吹は、一時として納まらない。人も変わっていく。憂い、だまされ、夢を見る。父と母が出逢ったこと。この土地に産まれたこと、この時に産まれたこと。誇りがあること。失ってはいけないこと。町霞にぼやけるときに失ってはならないと強く思う。
繊細な筆跡で埋められた譜面を、奏者たちがなぞる。音は姿を描く。

港から汽笛が響いていた。欧州仕立ての背広をつけ得意げに口髭を蓄えている男がいた。絣の袖が泥に汚れることも厭わず遊びに興じる子ども。いつも足下にまとわりつく野良犬。乾いた潮風。時折やってくるパレードでは道化が跳ねる。未舗装の踏み固められた路は丘と海をつなぐ。練炭の匂いと、乾いた草の匂いがする。
知るはずのない半世紀以上前の横浜の姿が目の前に広がっていた。奏者の額に汗が見え、気づくとボクもまた腰のあたりにびっしりと汗をかいていた。椅子が狭かったことにきづく。…だから、何だ。今は、座り心地云々どころでない。

変わりゆくものを、記録に留めるのは易い。凡人にでも努力だけでかなう。そうした史実は、情景を描いてはくれない。匂いを運ばない。
その姿を、色を、意識を、遺すのは一握りの認められた匠。それを遺すのがキャンバスでも印画紙でも五線譜であったとしても。蔵の奥底に眠っていたとしても。
そして、その埃にまみれた扉を開くのが出来る偶然もまた人知のかなわぬところにあるのだろう。
開かれた扉に居合わせることが出来た姿を継いでいく至福。
出会いに巡る動悸。

二〇〇二年二月九日。須賀田磯太郎、ボクはこの人を知っている。

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