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音楽評論家の片山杜秀氏が2002年2月9日神奈川フィルハーモニーの公演 パンフレットに
執筆した須賀田礒太郎に関しての解説を片山氏、神奈川フィルのご厚意によって
転載させていただく。この場を借りて、御礼申し上げる。
「幻の作曲家」
text. 片山杜秀
 

◆幻の作曲家
1930年代後半から40年代前半、昭和で言うと10年代は、日本に於けるオーケストラ音楽の最初の黄金時代だった。ロマン派風、印象派風、日本風、アジア風、前衛風……。ありとあらゆるタイプの管弦楽作品が続々と登場し、戦争の末期にはついに年間およそ90曲もが初演される活況を呈した。須賀田礒太郎はそんな時代の一翼を担った重要な管弦楽作家のひとりだった。

彼は1907年11月15日、横浜に生まれ、関東学院中学時代に音楽を志し、ピアノ、ヴァイオリン、理論を本格的に学びはじめた。ヴァイオリンの師は山井基清で、この人は宮内省楽部の楽師が本職であり、古典雅楽曲の楽譜の五線譜化に情熱を傾けていた。そのことがのちの須賀田の創作に大きく影響する。
1927年、病弱ゆえ就学継続困難ということで関東学院を中退した須賀田は、以後、次々と大家の門を敲き、その個人レッスンを受け、作曲家への道を歩んでゆく。即ち彼は28年からは山田耕筰と信時潔の両巨頭に、31年からはフランス近代音楽に傾倒していた菅原明朗に、33年からはトーマス・マンの義兄でマーラーの弟子のクラウス・プリングスハイムに師事したのである。また彼は雅楽『越天楽』の西洋管弦楽への編曲を見事に成し遂げていた近衛秀麿に雅楽の西洋管弦楽への編作法を学んだ。
そして1935年、須賀田に最初の成功が訪れる。宮内省楽部が主催した雅楽を素材とする管弦楽曲のコンクールに『日本絵巻 作品1』が入選したのだ。山井と近衛のもとで研鑽を積んだ成果が表れたわけである。あとは極めて順調だった。36年には山田耕筰らが審査したNHK管弦楽曲懸賞に『祭典前奏曲 作品2』が早坂文雄の『2つの賛歌への前奏曲』と共に入賞し(初演指揮は坂西輝信)、38年の新交響楽団(現NHK交響楽団)主催の第2回邦人作品コンクールに『交響的舞曲 作品4』が山田和男(一雄)の『若者のうたへる歌』や平尾貴四男の『隅田川』と一緒に入選し、この作品は小船幸次郎によりワルシャワやヘルシンキで伊福部昭の『日本狂詩曲』等と演奏された。39年にはNHKから民謡を素材にした「国民詩曲」の作曲委嘱を清瀬保二や深井史郎や松平頼則らと共に受けて『東北と関東 作品5』を発表し(初演指揮は金子登)、40年には『交響的序曲 作品6』でまたも大きな賞を射止め(本日の演奏曲につき詳しくは後述)、同じく40年、満州国新京音楽院管弦楽曲公募に『歓喜 作品7−3』が選ばれ、42年には、山田耕筰、諸井三郎、橋本國彦らが審査した日本ビクターの第1回管弦楽曲懸賞に『第1交響曲(フィルハーモニー交響曲)基調ハ』が佳作入選した(初演指揮は坂本良隆)。

このように須賀田の管弦楽曲は実に頻繁に様々な賞に入ったりし、45年頃まではしばしば演奏され、放送されていた。

が、敗戦直後の混乱期、日本のオーケストラは自国の作品を演奏する余裕も大義名分も失った。また戦争末期の44年に、須賀田は横浜から父親の実家のあった栃木県田沼町に疎開し、戦後も病のため田沼を動かなかったので、中央楽壇と縁の切れたかっこうとなったのも災いしたかもしれない。とにかく須賀田のオーケストラ作品はこうしたどさくさの間にかなり忘れられてしまった。戦後の彼はシリアスな大作よりむしろNHKラジオ歌謡『ごはんのうた』のような愛唱歌の作曲家として知られるようになった。

しかしオーケストラ作品の演奏機会がなかなか得られずとも、彼はその種の創作を決して諦めなかった。無調的な『ピカソの絵 作品23』、どちらもストラヴィンスキー張りにエネルギッシュな『日本舞踊組曲 作品22』や『生命の律動 作品25』等、戦時期の彼とは違った流儀の曲が次々と生み出された。だが、それらはどうやら皆、今日まで音になっていないようである。

そうして須賀田はついに1952年7月5日、父祖の地、田沼で逝ってしまった。そのあと須賀田の管弦楽曲を思い出し、演奏しようとする者も現れず、主要作品の楽譜の所在も不明となり、半世紀近くが過ぎた。けれど、ようやく1999年になって、田沼で生前の彼に親炙していた人々の要請で、親族が作曲家の遺した資料を探して田沼の須賀田家の蔵を開け、そこから自筆譜が大量に発見されて、ついに本日の演奏会に至った。幻の管弦楽作家、須賀田礒太郎の復活によって、日本近代音楽史の空白がひとつ埋められる。

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