試斬居合道 日本武徳院 Nihon Butokuin
Japanese
English
French
日本武徳院
日本武徳院とは
自分と真剣に向き合う
剣の道を現代に活かす
美としての試斬居合道
武徳院辞典
図解武徳院事典・真の型
図解武徳院事典・行の型
道場について
見学案内
入門案内
稽古案内
師範プロフィール
日本武徳院 映像 稽古週報 黒澤雄太 異論外聞 映画
TOP >> 日本武徳院TOP >> 
演武の位置付け >> 道場・稽古について >> 美としての試斬居合道 >> 道場での言葉
美としての試斬居合道 中村隆夫(多摩美術大学教授、美術評論家)
美としての試斬居合道 中村隆夫(多摩美術大学教授、美術評論家)
 
  私たちは博物館などで日本刀を工芸品として鑑賞する。刃文の妙、下げ緒の編目、刀身の描く曲線、そこには確かに工芸品としての美がある。黒澤の剣を握らせてもらった。初めて日本刀に触れた私にはずしりと重たく、また今までに感じたことのない緊張が身内を走る。彼の剣には刃文がない。斬ることを目的として研いだ刀にそれは必要ないのである。だが仮標を見事に斬ってみせる黒澤の動作と切断面が美しいように、研いで刃文の消えた刀は斬るということに収斂された美しさがある。
  道場見学をしていて試斬居合道の美意識とは何かが、ふと分ったような気がした。「型のための型」と「斬るための型」とは自ずと異なる。呼吸を整え、心を静め、無心になって動へと移行する。この行為の爆発の後、再び呼吸を整え、納刀する。静から動へ、再び静へと移る動作は無駄がなく美しい。黒澤の場合、型が儀式になっているのではなく、斬ることが儀式なのである。生きるということが何かの目的のためにあるのではなく、生きるという行為を有意義にするためにあるのだとすれば、黒澤の場合には取りも直さず斬ることである。そのために彼は鍛練し、そしてそれがあるが故に静としての日常がある。それはややもすると忘れられがちな武道の根幹を成す精神的・肉体的鍛練の本来の意味を問い直すことでもあり、剣士として生きる誇りのようにも思える。
Back
Next
Top of This Issue
▼TOPへ戻る著作権及びリンクについてサイト案内武徳院通信問い合わせ▲先頭へ戻る
Copyright©2000-2008 Nihon Butokuin All rights reserved.